翻訳と辞書
Words near each other
・ ホノカアボーイ
・ ホノニニギ
・ ホノホス
・ ホノリア (小惑星)
・ ホノリウス
・ ホノリウス (曖昧さ回避)
・ ホノリウス1世
・ ホノリウス1世 (ローマ教皇)
・ ホノリウス2世
・ ホノリウス2世 (ローマ教皇)
ホノリウス2世 (対立教皇)
・ ホノリウス2世 (曖昧さ回避)
・ ホノリウス3世
・ ホノリウス3世 (ローマ教皇)
・ ホノリウス4世 (ローマ教皇)
・ ホノリウスの誓いの書
・ ホノルル
・ ホノルル (ハワイ州)
・ ホノルル (原子力潜水艦)
・ ホノルル (軽巡洋艦)


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ホノリウス2世 (対立教皇) : ウィキペディア日本語版
ホノリウス2世 (対立教皇)[ほのりうす2せい]

ホノリウス2世(? - 1071年)は、ローマ教皇であるアレクサンデル2世対立教皇である(在位:1061年10月28日 - 1064年)。
== 生涯 ==
教皇のニコラウス2世イタリアの領有権をめぐって神聖ローマ帝国と対立し、1061年7月に死去した。次の教皇であるアレクサンデル2世は9月に即位したが、神聖ローマ皇帝であるハインリヒ4世の生母で摂政アグネスはこれに反対し、10月28日にバーゼルで擁立されたのが、このホノリウス2世であった。
しかしロレーヌ公ゴドフロワ3世の反対と妨害を受けてローマに入ることはできず、ハインリヒ4世の摂政もアグネスからケルン大司教であるアンノになるとホノリウス2世は見捨てられてしまう。結局、1064年にマントヴァで行なわれた司教会議退位を余儀なくされた。
しかし1071年に死去するまで、自らが正当な教皇であると必死に訴えたという。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ホノリウス2世 (対立教皇)」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.